東京有閑倶楽部

次回育児交流サロンはH29/10/6(金)です ♪ 育児講演会 + ピアノ 生演奏 + ドリンク付 ♪

大川小学校について

息子たち(小6と小4)の不謹慎な祈り(雨乞い)は届かず
今朝は警報ならず注意報だったため、通常通り登校しました。

しかし、子供たちは元気に登校してくれた、とは言え
こうも雨続きだとちょっと行動が鈍くなりますね。

そして、こうしてサロンに向けて色々考えていると、
まだ乳飲み子だった息子二人の育児に追われていた頃、
雨の日が続くと、
私は鬱々してきて、寂しくなったり孤独感に襲われたりしていたことを思い出しました。

特に核家族の中での育児は孤独との闘いです。

寂しくなったら是非当倶楽部のサロンにいらして下さいね♪

ところで、こうした雨が続くと東北の被災地のことを思い出します。

家族で東北被災地に行った日も雨。

先程の夕飯時、長男が
「なんか、大川小学校に行った時のことを思い出したよ」と口にしました。

私も全く同じことを考えていたのでびっくりしました。

・・・・我が家は旅の二日目。
昼食を南三陸で済ませ、石巻の大川小学校に向かいました。

夫がレンタカーを運転し、
私が助手席で地図を片手にナビゲーターをしていたのですが
突然夫が「あれが大川小学校じゃないか?」と言いました。

で、子供たちと一緒に夫の指さす方向に目を向け、
え?え?あれが?????

まだ遠くに小さく見える小学校なのですが
川沿いにぽつんと黒く寂しく佇むのが間違いなく大川小学校でした。

遠目に大川小学校を見た、その瞬間から全身鳥肌です。

私個人の感覚ですが、
奇跡の一本松や南三陸の防災庁舎から受けた衝撃とは全く次元が異なる
なんとも表現できない衝撃を受けました。

長男も次男も近づく大川小学校を無言で見つめていました。

あんな寂しい川沿いにそもそも小学校を建てること自体がおかしくない?
と思える程、周囲には何もありません。

しかし、慰霊碑のそばの震災前の写真を見て愕然。
今は大川小学校だけが残されており、
周囲は草がぼうぼうとしていますが
震災前は住宅街だったのです。

現地の方のお話しだと、
住民がまず恐れたのは、地震による建物の崩壊であり、
津波を恐れる人なんて殆どいなかった、
だから小学校の近くの住民もみんな大川小学校に避難してきていた、と言うのです。

確かに、被災した大川小学校を見ても
当時はとてもオシャレな造りであり、
頑強な造りであったことが容易に想像できました。

なので、住民の方々は大川小学校に避難すれは間違いない、
と、思われたのでしょう。

しかし、小学校のすぐ脇には河があります。
そして、反対側には山がすぐ近くに・・・・。

大川小学校の児童への避難誘導が取り沙汰されましたが、
現地を見ると尚更、その思いは強くなります。
それほど山が近いのです。

同じ年頃の児童をもつ親としては
もし、自分の子供がそこにいたら・・・・・
先生の指示に従ったのではないか・・・・・
自分の本能を信じ山に向かってくれただろうか・・・・・

色々な事が頭の中をぐるぐるぐるぐる。

現地を見ても答えは見つかりませんでした。

大川小学校を取り壊す、取り壊さない、の議論がされているようです。
難しいです。
こればかりは、遺された保護者の立場にならない限り何も言えません。

ただ、全国の教職員の方々に現地を見て頂きたい、という気持ちはしました。

大川小学校が何かを訴えている、そんな感じがしたのです。

津波を目にした時、無我夢中で山に向かい命を繋げた小6の男の子。

あとを追って来た友人の1人は引き上げることができたけど
もう1人は目の前で流された・・・。
後ろを振り返ったとき、
小1と小2の児童たちが手を繋いで先生の指示に従って
橋のたもとに向かっていた。

そんな手記を目にしました。

子供を失う、これ以上に辛く苦しいことはないと思います。
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